『3000万語の格差』:掛札逸美

紹介している論文について


 まず、「最近の研究」や「関連情報」に掲載している情報をどのように選んでいるか。答え:掛札の主観、または「この論文、紹介して」と言ってくださる他の方たちの主観です。『3000万語の格差』で引用・参照されている研究と関連がある、または解説やあとがきに関連があるということが第一条件です(掛札の場合は、わざわざ探しているわけでもなく、ふだん聞いている米国のラジオ・ニュースや英語のニュースでみつけたら、というだけですが)。

 「研究論文の選び方が偏っているのではないか」、はい、その通りです。これが研究と社会的なプロジェクトの違いです。

 まず、研究においては、研究者自身の仮説に沿った先行研究論文も、仮説に沿わない先行研究論文も、どちらも読み、参照し、そのうえで調査や実験をデザインすることが必須です。「~のはずだから」と自分の仮説に沿った先行研究だけを読んでいたのでは、研究者失格。そもそも、「こうだろう」と思って研究デザインをすれば、当然、「こうだろう」という答えがでやすい研究(調査/実験)デザインになり、仮説に沿った答えが出やすくなります(だからこそ、二重盲検法のような実験方法が必要)。

 そして、研究者は自分の仮説に沿った結果が出た場合だけ、論文を書く傾向があります。「タバコを吸っていると〇〇という病気が統計学的に有意に増える」という仮説を持って研究をした人が、「タバコを吸っていると〇〇という病気が統計学的に有意に減る」という研究結果を得たら、まずその結果は発表しないでしょう(「論文発表バイアス publication bias」と呼ばれる現象)。掛札が属する社会心理学の場合だと、「人間は~のように考えるはずだ」と思って研究したのに「人間は~とは逆に考える」という結果が出たら、「仮説自体が思い込みだったんだ、おもしろいね!」と喜んで発表するでしょうけれど、通常、研究者は自分の仮説を支持するために研究をするわけです。

 おまけ:研究/実験で「AとBに統計学的に有意な相関がある」という結果を得ることはできますが、「AとBには相関(関係)がない」という結果を出すことは無理、または非常に困難です。なぜなら、たとえば研究/実験の対象数(参加者数)が少なければ、もうそれだけでAとBの間の関係は計算できず、関係があるかないかは言えないからです。「統計学的な有意差がない」は、「関係がない」ではなく、「関係があるともないとも言えない」です。

 では、研究と社会的なプロジェクトはどう異なるか。たとえば、サスキンド博士の「3000万語イニシアティブ」は社会的なプロジェクト、このウェブサイトもその一環です。つまり、ザックとミシェルという、科学的には証明ができない2人の子どもの違いから始まった「特定の目標があるもの」なのです。その目標に到達するために、科学(研究)を使うという位置づけ。ですから、サスキンド博士が本書の中で引用・参照している研究結果はすべて、「3000万語イニシアティブ」を支持するためのものです。そういう意味では「偏って」います。このサイトに紹介する研究結果も「偏って」います。

 ですが、サスキンド博士が引用・参照している研究だけが、この分野の研究結果ではありません。「最近の研究」や「関連情報」で紹介していくように、類似の結果を示した研究結果は次々に、山ほど出ています(英語ですが)。こうした結果を見て、「どうも、これは本当に起きていることらしい。じゃあ、どうしようか」と考えることには意味があります。ひとつひとつの研究結果にはもちろん、限界があり、課題があります(研究論文では必ず、これを書かなければなりません。自分の研究の限界と課題をわかっておらず、「これで答えが出る!」なんて思って研究をしているなら、これまた研究者失格)。科学的な研究というのは、常に「小さな積み木ひとつ」「パズルの1ピース」に過ぎません。それを積み重ねていくことが研究者の責務、研究者のネットワークの責務なのです。

 ひとつひとつの研究の限界や課題について論じることは重要です。そうすれば、限界や課題を次の研究が埋められるから。でも、「これだけ同じような結果が出ているということは、現実に問題があるということのようだね。じゃあ、どうしようか」は研究者(だけ)の仕事ではありません。「これは問題だ。どうにかしなくちゃ」と思って行動するのは、社会の構成員一人ひとり(=あなた)です。そのために、このサイトでは「偏った」情報を提供していきます。(掛札、2018年5月28日)

※「二重盲検法」「統計学的に有意」といった言葉は『3000万語の格差』の中で解説しています。本書を読んでいるという前提のウェブサイトなので、そこは省略します。


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