『3000万語の格差』:最近の研究

「3000万語の格差」は本当か


「『3000万語の格差』について話すのをやめよう」


(2018年6月1日のNPRのニュース "Let's Stop Talking About The '30 Million Word Gap"' を訳したもの。記事を早く紹介することに重きをおいているため、日本語はあまり読みやすくないと思います。ご了承ください。)

 貧困層の子どもたちが3歳までに聞く言葉は(そうではない子どもたちに比べて)3000万語少ないと、あなたは知っていますか? たぶん知っているでしょう。新聞を読み、NPRを聞いている人なら、この数を聞いたことがあるはずです。1992年に発表されて以来、この研究結果は教育者、保護者、政策担当者が貧困層の子どもの教育を考える時に大きな影響を与えてきました。

 でも、この数が実はたったひとつの研究、それも40年前の、たった42家族を対象にした研究から出たものだと知っていましたか? この研究自体が人種に関わる歪みを含んでいると主張する人たちもいるということは? 最近出た新しい研究論文の著者たちが「元の研究結果を再現できなかった」、つまり元の研究自体が間違いだったと言っていることは知っていますか?

 NPRはこの議論を深めるため、8人の研究者にインタビューしました。8人とも、貧困層の子どもたちが可能性を開花させられるように支援することが自分たちのゴールだと話しています。けれども、この問題をどう定義するか、解決策をどう定義するかということになると、8人の間には大きな違いがありました。こうしたことを頭に入れた上で、この「3000万語の格差」について理解しておくべき6つのことについてお伝えします。


1.元の研究は42家族を対象にしたもの

 1960年代の「貧困との闘い」の中、幼稚園教諭だったベティ・ハートがカンザス大学大学院に入り、そこでアドバイザーとなったのがトッド・リズリーです。2人はカンザス・シティのジュニパー・ガーデンズ地域に住む低所得層の就学前児を対象にした研究を始めました。ハートのもとで研究をしていたデイル・ウォーカーは、「幼い子どもたちに対する懸念と、子どもたちのために働いてきた経験から、2人がこの研究を始めたのは間違いありません」と話しています。

 貧困層と中所得層の子どもたちの違いに気づき、ハートとリズリーは、もっと早い時期にみられるであろう、違いの原因を見つけようと決心しました。1982年、2人は新聞の誕生記事をもとに、生まれたばかりの子どもたちを探し、研究に参加するよう家族に依頼し始めました。最終的に、4つの収入層、計42家族が研究対象として選ばれました。「生活保護」グループ全員が黒人、「労働階層」グループ10家族のうち7家族が黒人、一方、「専門職」グループ10家族中9家族が白人でした。この違いは後で重要になります。

 子どもが生後7~9か月の時から、研究者たちはそれぞれの家庭を月に1度、毎回1時間訪れ、それを2年半、続けました。訪問者はたいてい午後遅く、カセット・レコーダーとクリップ・ボードとストップウォッチを持ち、家の目立たない所にいて、子どものまわりで話される言葉の数を記録し、やりとりの質を調べたのです(例:質問 対 命令)。同時に、子どもが発する言葉の変化も記録しました。


2.この研究は8000回以上、引用(参照)されている

 1200時間分の録音が集められ、ここから本当の作業が始まりました。録音を紙に書き起こし、細かく分類し、1時間分の録音に対して16時間、作業をしたとウォーカーは言います。研究結果が発表されたのは10年後の1992年、2人の書籍『米国の幼い子どもたちの日々の生活の中に見られる意味のある違い』が出版されたのは1995年でした。

 ここから火がつきました。グーグル・スカラー(論文検索サイト)によると、この研究は8000回以上、引用(参照)され、この本は20年以上経った今も、この出版社のベスト・セラーのひとつです。ハートとリズリーの研究に端を発する研究ネットワーク(米国)には150人以上の研究者がおり、幼い子どもたちの家庭環境に焦点を当てています。

 影響は研究の世界を超えています。「政策上の意味も非常に大きかった」と、テンプル大学の発達心理学者でブルッキングス研究所上級研究員のキャシー・ハーシュ=パセックは言います。「3000万語」という数字の何かが人々の注意をひいたのです。その数が大きいだけでなく、なにかできるのではないかという数だったのです。

 話し言葉は、本や住宅や保険と違って、無料です。貧困層の保護者たちが子どもたちにもっと話すようにしていくことができれば、この根強い不平等を解消するために大きな変化を起こすことができるのでは?

 「言葉の格差」は、ヘッド・スタートとアーリー・ヘッド・スタート(貧困層の子ども向けの未就学教育プログラム)に米国政府が拠出する資金を増やしました。ハートとリズリーの研究は、幼い子どもを対象としたさまざまな介入プログラムづくりを促進しました。ロード・アイランド州プロビデンス市のProvidence Talksやボストン市のReach Out and Read、あるいはクリントン基金のToo Small To Failなどです。

 ハートもリズリーもすでに他界しています。けれども、すべてが始まったカンザス・シティでは、デイル・ウォーカーたちが「ジュニパー・ガーデンズの子どもたちプロジェクト」で研究と介入プロジェクトを続けています。


3.「3000万語」はたぶん言い過ぎ。差は400万またはそれ以下

 この研究が長い間、影響を持ってきた理由のひとつは、「3000万語」という数の大きさでしょう。けれども、最近の研究はまったく違う数字を見出しています。ハートとリズリーの研究が発表されて以来、データ収集と解釈について疑義を呈してきた人たちがいるのです。

 「2人の研究はいろいろな意味で称賛に値するが、でも、間違っていました」と、語彙習得の専門家であるビクトリア大学(ニュージーランド)のPaul Nationは言います。Nationは「少ない数の子どもたちの例(サンプル)から語彙の成長を推定できる」という考え方に問題があると言います。特に、サンプルが同数の言葉を含まない場合には。

 Nationだけでなく他の研究者たちも指摘している点は、研究者が家の中にいる、それも自分たちとは異なる人種の研究者がいるという状況の中で、低所得者層の人たちは気おくれしてしまい、話せなくなってしまったのかもしれないという点です。一方、教育レベルが高い保護者たちは、観察者がいるがゆえに日常以上に話して、自分たちを良く見せようとした可能性もある、と。

 現代の技術は、この「観察者効果」をなくすことができます。LENAというデジタル録音機器は2か月の子どもにも付けることができ、ソフトを使うことで話し言葉とやりとりを推計することができます。LENAも目には見えますが、家の中に他人がいるよりはずっとよいでしょう。ハートとリズリーの研究に触発されて作られたLENAは、全米20以上の州で学校や家庭の介入プロジェクトに使われています。

 LENAを使い、ハートとリズリーの研究をほぼ再現した結果が2017年に発表されました。対象は329家族、4万9765時間の録音を生後2か月から4歳まで集めました。研究結果は、4歳になるまでの「高所得層」と「低所得層」の格差が400万語でした。もっともたくさん話した2%ともっとも話さなかった2%を比べればハートとリズリーの結果とほぼ同じ差になると、LENAの上級研究ディレクター、Jill Gilkersonは話しています。

 また、最近発表された別の研究はそれ自身、ハートとリズリーの結果を「再現できなかった研究」と呼んでいます。この研究では、貧困層と労働者層のコミュニティ5つで行った録音を分析しました。子どもが聞いた話し言葉の量は、コミュニティによって違い、たとえばサウス・バルティモアの低所得者層の子どもたちは、ハートとリズリーの「生活保護」層の1.7倍、言葉を聞いていました。また、アラバマ州の農村部「ブラック・ベルト」と呼ばれる地域でも、貧困層の子どもはハートとリズリーの「生活保護」層の3倍、言葉を聞いていたのです。

 こうした大きな違いは、「子どもが聞く言葉の数を決めるのは収入だけだ、という考えをくつがえすものです」と筆頭研究者のDouglas Sperryは言っています。


4.「格差」という考え方そのものを批判している人たちもいる

 Sperryたちは、「言葉の格差」という概念そのものを批判するグループに属し、この言葉自体が人種、文化の影響を強く受け、結果的には、介入研究によって助けようとしている子どもたちにとっても害になると主張しています。

 「収入だけに目を向けることは、学校へ入学した時に起こる、非白人の子どもたちとヨーロッパ系の子どもたち、その教師たちの間の文化的ミスマッチという真の問題を見えにくくします」とSperryは言います。つまり、「貧困層の子どもたちは学校に入る準備ができていない」というわけでは必ずしもなく、「学校と教師のほうがこういった子どもたちに対して準備ができていない」ということです。

 UCLAの教育学教授であるMarjorie Faulstich Orellanaは、学校で使われるスタンダードな英語以外の言語を母語とする子どもたち、あるいは英語の方言を学んで育った子どもたちが経験している「言葉の豊かさ」にも目を向けるべきだと言っています。これは最近移民してきた人たちだけでなく、家族の背景が「白人」「教育レベルが高い」「中所得層または高所得層」ではないすべての人たち、子どもたちのことを指しています。こうした子どもたちが学校へ入ると、2つの言語の間でコードの切り替える方法をまず学ばなければならないのです。

 Orellanaは、「おとなが子どもに話す量にばらつきがある」という点には同意していますが、それを良し悪しで判断すべきではないと言っています。「おとなは、子どもに向かって質問をたくさんするべきなのでしょうか? 子どもたちが学校で質問に答えられるように?」、Orellanaはそう問います。それこそが「中所得層の、白人的な実践だ」と。「楽しみのため、つながりをつくるために言語を使うという価値観もあります。子どもが知識を使うためだけではなく。どのようにすれば、家族の価値観を学校に合わせるのではなく、異なる家族(の価値観)を尊ぶことができるのでしょうか?」

 テキサス大学サン・アントニオ校の教育学教授、Sofia Bahenaも同じように言い、「言葉の格差」を「到達度の格差」と同じようにして語ることは、「弱点中心の考え方」だと言います。「弱点や不足を表す言葉を使うのではなく、私たちが語り研究する人たちのことを考え、その人たちに敬意を表するという方法で、違いについて話すこともできます」とBahenaは説明します。「『どうすればこの生徒たちを良く変えられる?』という問い方を『私たちがこの生徒たちのためになる一番の方法は?』と変えることができるのです。目の前の現実について話さない、ということではありません。そうではなくて、この問題についてより深く理解するための、より重要な問いを問うためです。」

 テキサス大学オースティン校のJennifer Keys Adairは昨年、この「言葉の格差」が学校においてどのような意味を持っているのかを検討した論文を発表しています。

 Adairたちはスペイン語を母語とする移民コミュニティを中心に、校長、事務職、教師、保護者、子どもたち、200人近くに聞き取りを行いました。教育者たちは、このコミュニティの就学前から3年時までの子どもたちは語彙がとても限られているために、、学習者(子ども)中心、プロジェクト中心、自分でしてみる、といった形の学習についていけていないと言ったそうです。子どもたち自身も、学ぶためには静かに座って、教師の話を聞くことが必要だと言ったのです。

 Adairは、「言葉の格差」は暗号の一種になったと言います。「『語彙』という話はできる。でも、『貧困』や『人種』という言葉は使わない。でも、『語彙』という言葉はいまだに(「貧困」や「人種」を表す)ひとつの目印になっている」と言っています。


5.とはいえ、子どもたちを助けたいという根本的な気持ちは今でも強い

 ハートとリズリーが生きていれば、こうした批判に対して喜んで議論をしただろうと、カンザス大学のウォーカーは話しています。「2人は、意見と、やりとりに価値を置いていたから」。けれども、2人の研究が誤って解釈されたことに落胆したこともあったようです。たとえば、より幼い時の重要性をもって、学校における支援をしない言い訳にする、といったような場合です。

 ハートとリズリーに賛同する研究者たちの中にも、「言葉の格差」という枠組みは新しいものにしたほうがいいと考える人たちもいます。ハーシュ=パセックやロバータ・ゴリンコフたちは、Sperryらの研究に対する批評論文を発表しています。「私は心配しています」とハーシュ=パセックは言います。言葉の格差の重要性を軽視することは「危険な」結果につながりうると。「『言葉の格差なんてどうでもいいことだ』というメッセージを送れば、政治家、政策側の人間たちはそれを聞いて『そいつはよかった。金を他に回せる』と言うでしょうから」。

 Sperryの研究には、ハートとリズリーの研究と異なり、子どもと一緒にその場所にいた複数の人たち(兄弟姉妹や親戚)が話す「周囲の話し言葉」(「最近の研究」の次の項)も含まれています。LENAの研究も同様です。けれども、ハーシュ・パセックによれば、話し言葉を学ぶために不可欠なのは、子どものケアをする人と子どもの間のやりとりの「ダンス」だということが研究から明らかになっています。この点は発達心理学者の間ではわかりきったことなのかもしれないけれども、文化人類学者は同意しないだろうと、Sperryは言います。たとえば、中央アメリカのマヤ文化では、子どもに直接話しかけることをあまりしないようです。それでも、この文化の人たちは話すことを学ぶと、Sperryは言います。

 ハーシュ=パセックは、この問題を「弱点」「不足」という枠組みで考えるのは間違いだとする側に同意しています。「3000万語の格差が、格差として語られていることは残念だと思います。私も、格差を縮めるということではなく、基礎を築くということで話をしたい」。けれども、子どもがいる場所で話されていた言葉の量ではなく、子どもに向いたやりとりの量が言葉の学びと学校における成功の基礎になるとも言います。世界じゅうで見られる文化差を考えに入れたとしても、「平均値を見た時、確かにここに問題があるという事実を無視することはできません」と。

 さらに重要なのは、ハートとリズリーに触発され、生まれてきたさまざまな介入が、保護者を良い方向に向けていっているという点だとハーシュ=パセックは指摘しています。「あらゆるコミュニティで、私たちは変化とムーブメントを起こしています」。


訳者のコメント

 この記事を読むと、米国の場合、この問題が貧富の差、人種の差の問題として根強いこと、そのような枠組みで語ること自体が差別だと考える人たちがいることがわかります。私たちが住んでいるこの文化の場合、今、子どもたちに起きていること自体は貧富の差そのものではないので、興味深い議論でした(なぜ、私が「この文化」と言い、「日本文化」と言わないかは、『保育者のための心の仕組みを知る本』に書いてあります。「日本文化」と言ってしまうこと自体がこの文化の多様性を無視することになるからです)。

 この記事の一般的な重要性は、20年前に出された研究結果であっても「本当にそうなのか?」と、科学的な妥当性と信頼性(こちらのリンクの5ページ。日本保育協会保育科学研究所『研究所だより』22号)を検討し続ける健全さが現れている点です。「有名な研究だから」や「有名な先生が発表した研究だから」ではなく、「本当に?」という疑いを持ち続けて、科学的に検証する。物理や生物学、化学のような科学(いわゆるhard science)は再現実験が比較的容易なのですが、この研究のような科学(soft science)は、研究方法を再現できても、対象集団を完全に再現することはできず、その集団をとりまく社会状況も再現は難しい。そうすると、こういった再現研究を積み重ねていくことは非常に大事になります。

 欧米の心理学周辺の分野では、大学院生の修士論文等はすべて、過去の実験の再現実験(研究)にしてはどうかという意見が時々出てくるぐらいです。再現実験(研究)も決して簡単ではないため、トレーニングになる。そして、過去の研究の裏付け、過去の研究に対する疑義になるという価値があるためです。

 ちなみに、このラジオ記事に対して、ハートとリズリーの後継者の研究者たち(サスキンド博士を含む)は、「紹介されている研究は、ハートとリズリーの研究を再現していない」と言っています。なにより、この記事の最後のほうにも書かれている通り、「おとなから子どもに向けて話された言葉」だけではなく、「子どもの周囲で話されていた言葉」も数えられている部分が違っています。この件に関しては、次の記事をお読みください。

※NPRとは本書のあとがきにも出てきますが、National Public Radio、直訳すると「米国公共ラジオ」ですが、国営ではなく、政府から補助金は出ていますが、大部分は聴取者からの寄付金で運営されているラジオ局です。さまざまな分野の番組、ポッドキャストがあります。

※本文中でカタカナになっている名前は『3000万語の格差』に出てくる人たちです。



(訳、解説:掛札逸美。2018年6月29日)